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「宗教原理としての四十八願」曽我量深  2005・6・5落在舍 発表・珍獣院

 

曽我量深 1875(明治8)年〜1971(昭和46)年

 

第1講 宗教経験と宗教原理(大正15年11月発行『仏座』) 量深51歳

 

「何を」(客観的対象に眼を注ぐこと)から、「如何に」(主観的に対象から内側へ眼を転じて)みるかが大切である。

 「四十八願を、宗教原理としてみる」。「宗教原理」とは「吾人人類の最深最高の要求」。これを外に求めず、我が内に求める。これを開顕したのが『大無量寿経』−「大無量寿経真実之教」「如来の本願を説くを経の宗致となす」

 

 既成宗教、仏教教団の腐敗に対して非難あり。「釋尊に還れ」「親鸞に還れ」「原始教団の精神に還れ」と叫ばれる。

当時、日蓮、明恵(華厳)、解脱(法相)等も「久遠の釋迦に還れ」「釋尊の精神に還れ」と叫ばれた

に違いない(発菩提心の高調)。自力聖道門、これはこれで尊いこと。

 しかるに我々は、「自己の最深最高の要求に還れ」「全人類の最高の要求に還れ」と叫ばねばならない―真実の自己に還って、一切衆生の求むるところの願い、その要求をつきとめるということ。釋尊も親鸞もただその道を歩まれた。

 親鸞聖人は「釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまふ 正像の二時はおはりきに 如来の遺弟悲泣せよ」(『正像末和讃』)と悲しまれ、「正法の時機とおもへども 底下の凡夫となれる身は 清浄真実のこころなし 発菩提心いかがせん」(『正像末和讃』)と、自己の相をながめて悲嘆された。つまり、「真実の自己の最深最高の要求」に還らねばならぬということを、痛切な傷みのの中に静かに聞いておられた。

 法然上人の弟子たちも、法然上人を理想としてこれに達せんと願った。「宗教的経験」の事実を唯一の対象として、それに到達しようとした。

親鸞はむしろ法然を越えて、法然を法然たらしめたところの弥陀の本願を先験(P6参照)することによって、法然の全きものを掴んだ(『親鸞伝絵』第7段・信行二座)。法然の念仏の上に表現せるところの「宗教的原理」を掴み、それを先験することで、法然の宗教的経験の全体を把握した。

即ち、宗教的経験の事実に先立ってある(実在論的になりはしないか?)ところの「宗教原理」=「阿弥陀仏の本願」に接触した。

 

「それ真実の教をあらはさば大無量寿経これなり、この経の大意は弥陀誓を超発してひろく(大願業力により四十八の)法蔵を開き、凡小を哀れむで功徳の宝(お念仏=南無阿弥陀仏)を施す(廻施)ことをいたす、釋迦(は、阿弥陀の本願力によってつきだされ)世に出興して道教を光闡して群萠をすくひめぐむに真実の利(真実のすくいの道=全人類の最深最高の要求)を以てせんと欲してなり、ここをもて如来の本願を説くを経の宗致とす、すなわち仏の名号をもて経の体とするなり。」(『教行信證』教の巻)・・・親鸞の領解

 釋迦の前に弥陀あり。宗教原理の自由展開により釋迦がはじめて仏になった。

 阿弥陀仏の四十八願という広大な源(宗教原理)に裏付けられてはじめて釋迦という先覚者が現れ来た。

 阿弥陀仏の四十八願(広大無辺の本願=一切衆生をすくう超世の大悲願)は、全人類の最深最高の要求としてそこに根底をもっておる。また、四十八願は人類の歴史全体を包んで成立することができる。

 

 なぜ法蔵菩薩が出てくるか。

 四十八願の主体たるが故に、四十八願の主体を法蔵菩薩と名付ける。法蔵とは四十八願の法の蔵なり。

 

『大経』の構成

序分(序論)〜本論の依って起こるところの因縁を明かす。教(説法)を求める人の心持を述べる。

正宗分(本論)〜正しく宗とするところ、『大経』の『大経』たるところのおみのり。

流通分(結段)〜本論の説かれた法を結んで、後の世まで伝えようと書き記す。

 

弥陀の本願の説き出し

「爾時世尊諸根悦予し姿色清浄にして光顔巍々たり(お姿が清浄で気高く輝いている)」・・・真実のおみのりが、釋尊によって説かれるべき機縁が純熟するにいたり、歓喜の心持が内面に燃え、それが面に顕れた。

阿難が釋尊に問う「今日のように世尊の気高いところのお姿は、私は未だ會つて拝したことはありません。まことにご満足のお心もちが現れておられるがいかがなされましたのでありましょうか」

 釋尊は、これまで真実の自分の要求を表現する道がないことに悩み続けられた。その時期が到来し、それをとらえた。そこに釋尊の諸根悦予があった。

釋尊究竟の満足は、宗教的経験事実のあらわれである。これが如何にして起こったか。それは仏々相念である。

 よろこびの境地が念仏=仏々相念(仏と仏が相念ずる)

因位の仏(未だ表現せざる如来―主観の仏=過去の仏)と果上の仏(表現せられた相の如来―客観の仏=今日の仏)が一致する境地を指して、仏々相念と名付ける。(真実の満足因果一体、主客一体の境地に到達したときのこと)

今日の仏が、過去の仏を念じ、過去の仏また今日の仏を念ずる。ここに念仏三昧がある。

今日の仏が、過去の仏を念じずるということは、今日の仏が、過去の仏に念ぜられておることを念ずるということである。それを仏々相念と名付ける。

 

念仏を如何に念仏する(称える)か

 仏々相念という意義をもってすることにより、念仏という本当の生命が現れる。

 念ずるとは、念ぜられておることを知ることである。

 

※仏々相念:『大経』発起序

「今日世尊諸根悦予・・・今日天尊行如来徳。去・来・現の仏、仏と仏あい念じたまふ。いまの仏

(世尊)も諸仏を念じたまふこと無きことを得んや(念じておいでになるに違いありません)・・・」

(聖典p8)

 

釋尊の悩み

 長い間、主観(未表現)と客観(表現)、因位の仏と果上の仏、所謂大菩提心と菩提の証果というものの葛藤に悩まれた。真実の自分の要求をほんとうに表現する道がない(本文p44)。

cf・イノセンスの表出(表現)→受け止め→解体<芹澤俊介の人間(親子)関係の問題>(今津)

 

第2講 有生、無生、得生(大正15年9月発行『仏座』)

 

十八願により、往生の要求(=往生というものの自覚の意義)を明らかにする。

 

<本願>−宗教(信仰)原理。法蔵菩薩自身の言葉として書き表されている。

設我得仏 十方衆生  たとひわれ仏を得たらんに 十方の衆生

至心信楽 欲生我国  至心信楽して わが国に生ぜんとおもいて

乃至十念 若不生者  乃至十念せん もし生ぜずは

不取正覚       正覚を取らじ

唯除五逆 誹謗正法  ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く

 

 

<成就文>−宗教原理そのものの表現である信仰経験の事実。事実的意識の経験として受け取る。

諸有衆生 聞其名号  あらゆる衆生 その名号を聞きて

信心歓喜 乃至一念  信心歓喜せんこと 乃至一念せん

至心回向 願生彼国  かの国に生れんと願ずれば

即得往生 住不退転  すなわち往生を得 不退転に住せん

唯除五逆 誹謗正法  ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く

 

かの国に生れんと願じたそのときに往生は決定し、往生の体験を得る(平生業成)。

 

本願と成就文

 十方衆生 ⇔ 諸有衆生

至心信楽 欲生我国 ⇔ 信心歓喜

乃至十念 ⇔ 乃至一念

「至心信楽欲生」の三心は「信心歓喜」の「信心」におさまる。

「聞其名号信心歓喜」我々は称えるに先立ってその名号を聞く。すなわち、ただ、南無阿弥陀仏の名号のいわれを聞いて、念仏の上に信仰を立てるというほかに、我々の信仰経験の事実はない。

「信心歓喜いまし一念に至るまで」の一念は、信の一念を顕わす。救いは信の一念に実現される。

「至心に回向したまへり」如来の至心よりして、我々に廻向表現したまえる(如来の本願力廻向)。

成仏の自覚は、決して現実の経験事実としては永遠に現れては来ない。

「欲生我国」(原理自身の名告)、「願生彼国」(本願の原理を我々の経験事実として述べた)

「即得往生 住不退転」一念の信の発得したときたちどころに永遠の問題である救いが明らかになる。

「若不生者 不取正覚」〜この正覚は、真実・真正の自覚。これ「無生」なり。

 

「無生」〜真正の成仏の自覚であり、永遠に我々の現実の経験事実としては現れて来ないもの。現れ

たものは方便化身の仏と言う。

「無生」の「生」は、「有生」であり、事実を指す。盲目的欲望の具体化。

盲目的欲望の具体化(偽りの現実の物質界)には、仏の正覚の真理自体としては、決して影を宿さ

ない。

「如来清浄本願の 無生の生なりければ 本則三々の品なれど 一二もかはることぞなき」(曇鸞讚)

無生とは、死にいたる人生の生(生死流転の繰り返し)ではない。清浄本願により得られる生。ただ、還相廻向のはたらきに乗り生死の世界に還る。

本願を信じる世界においては九品の差別なし。「無生の生」は凡夫にとっては、ただ不可思議。

 

往生の要求(欲生我國・願生彼国)=願往生

@有生  十方衆生(本願)

諸有衆生(成就文)

A得生  若不生者(本願)―生れざるものを生れさせる

      即得往生(成就文)

B無生  不取正覚(本願並びに成就文)

 

「十方の衆生」とは、いわゆる東西南北四維上下の一切有情を指す。

盲目的物質的欲望(要求)を具体化し客観化したものの全部=八万四千の欲望の具体化

したものを指し、十方の衆生と名付ける。成就文には「諸有衆生」とある。

 

往生の要求=願往生の要求は、一面からみれば有生即ち生の肯定であり、一面からみれば無生即ち生

の否定である。

 

@有生・・・物質的欲望(生)の肯定。<方便化土の往生>。

B無生・・・物質的欲望(生)の否定。全く成仏の縁なき者を指し、また、仏の正覚は永遠に物質世界

には顕現しないことをいう。

A得生・・・有生、無生の二矛盾を救済総合して(止揚して)、往生の欲求に得生という感情を与える

=往生欲求の完成、満足。<真実報土の往生>。

「往生の要求が、有生・無生の二矛盾を作り出して、その有生・無生の階段を経て得生という一つの境

地に到達して、往生の要求を完成する。」

「往生の要求は主観上の意味を包んで、そうして三段の過程を経て、一念に全うして純正往生の要求の中に、往生の要求というものを浄化し、往生の要求自体を明かし、往生の要求自体の自己の内的展開によって、往生の要求はそのまま自分を満たすところの原理であることを現した」

(量深はこの展開をヘーゲルの三段の形式に当たるという。満之のヘーゲル批判−『宗教哲学骸骨』は

別紙参照)

 

宗教経験は大切だが、それが依拠する宗教原理(本願)に触れよ。そこに真実のすくいあり。

弥陀に抱かれてあると信知する(わからせていただく)ことと、私は永遠に迷いの凡夫であったということは同時のこと。

救い(真実の利益を得る=浄土に入る)とは、我々の自己とは絶対に浄土へ生ずることのない者が、生ずることのないままで、生ずることが出来るという矛盾そのもの。

自己の要求とは、ただ個人の願望ではなく、「吾人人類」(量深)→生きとし生けるものが持っている生命そのものが持っている要求。それに応えるのが宗教。宗教的要求とは、生命の要求に対して生命自身が応えていく(大峯顕)。

cf・「無碍光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ」

   (『高僧和讃』曇鸞大師)

※志願:浄土に生れたいという願い。私個人の願いではなく、命本来の願い、それが私に照育され

てくる。(往生の要求=吾人人類の最深最高の要求)。

 

「往生」について、我々の自覚自証に直接訴えて批判するが大切。つまり、往生を願求するところの往生の要求に遡って、要求の自覚により批判して、これを決定して行く。

これが真実報土の往生、これが方便化土の往生と言葉だけを並び立てるのは、売薬の効能書を読むに等しい。

 

 

(付録1)『仏座』創刊号・量深の二文(大正15年1月)

宣 言

我等の純真なる宗教生活は南無帰命の心の淳一相続である。それは一切衆生の現実意識をくまなく貫き流れて、而も現実の相応と対境とを超えて、しかもその無限なる久遠の真性を憶念して失わない。

隋てこの純真なる帰命の心は永遠に我等衆生の現実意識表象に来らぬであろう。それは永久に不生の真理であるからである。それは長しなへに如来の因位法蔵菩薩の願心であり、彼岸における如来の本願招喚の勅命であり、先験なる如来の廻向表現の宗教的要求自体であるからである。

『仏座』は正しくこの帰命の心の象徴である。蓮華は純粋清浄の徳相の象徴である。これは一切の宗教経験を純化し、それをして至誠に宗教的たらしめる自覚の原理である。この一如の仏座を畢竟依としてのみ阿弥陀仏の純粋大行は無碍に卑湿の泥地を離れて無限の空中に住立したもうのである。まことに敬虔なる帰命の仏座を先験することによりて、正に如来の正覚成満の大行の梵響に我等の大千は踊躍震動するのである。

我等は自己を語らんとするものではない。ただ広く同信の友と共に、この如来の語を聞かんと念願するのである。」

願 心

私は大正11年11月金子氏の賛同を得、東京に於て雑誌「見真」を刊行したが、自分の内生活の空虚の為、第11号を以て廃刊の止むなきにいたり、私も亦重態の妻を具して郷里北越に没落するの運命となった。愛護の力も足らずして妻は遂に逝き、私は寂しい心をいだき、満24年目にこの洛に来たが、ここには孤独なる私の境遇に同情し、達成せらぜざる私の志願に同感する多くの友がある。その中なる数名の人達のくわだてられたる聖教読誦の会に参加するだけでさえ光栄であるのに、今や純真なる宗教的要求に参入し、その行願を聞かんがためにこの『仏座』の発刊せられ、その一眷属たるを得たことを、どうして喜ばずに居られませう。希くは、徒なる学究と伝道とを超て我々の各々の宗教経験を通じて、如来の超世の悲願に直入したいと思ふ。

 

 

(付録2)「根源的な自己」に関する東西諸家の探求メモ概略

「自己の最深最高の要求に還れ」(量深)の自己(根源的な自己)とは何者であるのか。

   内(唯心的)・外(唯物的)の二元論を超えようとすれども、実在論的一元論になりやすい西洋

哲学と仏教で言う縁起法・諸行無常・諸法無我。(cf 真俗二諦論か一体論かの議論)

 

 曇鸞 476〜542 「無生の生」

善導 613〜618

「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁

あることなしと信ず」(『散善義』・引文 親鸞『信巻・本』)

親鸞 1173(承安3)〜1262(弘長2)

「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞が一人がためなりけり」(『歎異鈔』後序)

道元 1200〜1253

「仏道をならふといふは自己をならふなり」〜自己とは何かを学ぶ。(『正法眼蔵』)

    「自己を運びて万法を修証するは迷いなり 万法来たりて自己を修証するは悟りなり」

清澤満之 1863(文久3)〜1903(明治36)

「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるも

の、即ち是なり。」(『精神主義(その一)』明治35年 精神界)

満之の<生成・発展論>

「一物一体が原因から結果に生成・発展する際、その他の一切の事物が、それを助け支える縁に

なる。常に因、縁、果の三者が寄りあって、万物の全体を構成している。したがって、一切の生

成・発展は、一方から言えば、一物一体の作用であると言えるが、他方から、そしてより精密に

言えば、万物全体の作用、すなわち唯一無限者の作用であると言わざるを得ない。」

(『宗教哲学骸骨』第4章生成・発展論/<ヘーゲル批判>は別紙コピー参照)

 西田幾多郎 1870(明治3)〜1945(昭和20)

禅経験とヘーゲル的な哲学観を基礎に、東洋思想と西洋思想のより根本的な地点から融合させ

ようとした。「場所の論理」―自覚等の意識の存在する場の理論。最終的にその場が宗教的・

道徳的に統合される「絶対的矛盾的自己同一」の理論。

鈴木大拙 1870(明治3)〜1966(昭和41)

「霊性」〜感性や理性のもっと根源にあるもの(『日本的霊性』)

キェルケゴール 1813〜1855 デンマーク生れ。キリスト教哲学者。実存主義の祖。

    絶望と不安を、人間存在の根本問題として自己の主体的な自覚と決断によってこれを超克す

ることを説いた。

「自己とは精神(身体と心の統一)である」「自己とは、自己自身への関係」(『死のいたる病』

〜原意は死なない病。絶望という精神の病気。時間を超えた精神の永遠を問う。人間はこの

世だけでは終わらない精神である)。既存のキリスト教を批判。

カント 1724〜1804  ドイツ観念論の基礎を築く。理性主義。先験主義。

※先験主義:先験とは、本来、経験的見方を超越する意。

カントの先験主義:理性批判の哲学の根本の方法として先験的方法を採用する。これは認識の

発生的な事実問題を問うのではなく、認識を認識たらしめる認識の可能性の権利の根拠(権利問

題)を扱う。すなわち、人間理性のアプリオリ(先天的)な認識を、―より広くいえば活動一般

から身を引き離し、それを「超越」したところに考察の視点を設定することによって、その構造

を―明らかにしようとする方法である。

※内在的超越:あらゆる可能性経験を超越した物自体あるいはこの種の実在は、感覚の源泉として想定される限り実在論的である(カントはこのように経験的世界を超えつつ、その成立の可能性を条件付けるという性格を「超越論的」・「先験的」と呼ぶ)。しかし、それが認識不可能なものである限り、外的事物の客観的実在性は究極的には否定されざるを得ず、以て世界は意識内の表象として内在化されることになる。

へーゲル  1770〜1831  弁証法(三段軌範)に基づいて、カント依頼のドイツ観念論哲学を大

成。弁証法とは、思考や存在が矛盾の統一を通じて発展する原理をいう。正(自己)・反(矛盾)・

合(統合)の運動が反復進行して、すべての相対の段階が克服されたとき、絶対精神がみずから

をあらわす。すなわち精神が真の精神として自己に立ち戻る。この絶対者は一切の相対を内に包

む生ける主体である。

 フォイエルバッハ 1804〜1872  ヘーゲル学派左派。ヘーゲルの観念論哲学とキリスト教を批判

して、機械論的・直感的唯物論、無神論を説き、マルクス、エンゲルスに影響を与え、彼らの弁

証法的唯物論への橋渡しの役割を果した。

マルクス 1818〜1883 ヘーゲルの観念論的弁証法を排して「弁証法的唯物論」を確立。これを歴

史と社会に適用して「唯物史観(史的唯物論)」を創始。この立場から資本主義経済の運動方式

を分析して剰余価値説に立つ経済学を大成し、労働者階級の階級闘争の理論と戦術を体系化した。

※弁証法的唯物論:すべての現象は、物質の運動の弁証法的発展の過程であり、認識とは物質的

実在の反映に過ぎないとして、ヘーゲルの観念論とフォイエルバッハの機械論的・直感的唯物

論を批判した。

フッサール 1859〜1938  現象学を創始。事物の存在を先験的に超越して純粋意識を取り戻し、

これによって事物の普遍的で本質的な意味と構造を直感的に捉えることにより「超越的自我の普

遍的構造」を極めることが哲学の課題であるとした。

※現象学:数学的自然科学の認識を自明の前提として出発したカントと違い、より根源的に問題を扱おうとする。「先験的(超越論的)意識」を純粋にとり出す。「先験的(超越論的)現象学的還元」の方法をとる。より直接事象から出発する実存哲学。

ハイデッガー 1889〜1976 実存主義。「存在とは、存在するもの(存在者)ではなく、存在をして

存在たらしめるものであり、その本質は不安と時間である」「人間の本来性(現存在・実存)は

過去を担いつつ、未来に向かうことにより、現在をなりたたせている」。キェルケゴールの実存

がハイデッガーの主要課題であった。

 レヴィ=ストロース 1908〜 構造主義。人間が、その社会的自然的環境を、言語を通してどのよう

に秩序づけているかを検討した。

 これまで非合理的なものとされていた未開人の〈神話的思考〉が、決して近代西欧の〈科学

的思考〉に劣るものではなく、象徴性の強い〈感性的表現による世界の組織化と活用〉にもと

づく〈具体の科学〉であり、〈効率を高めるために栽培種化された思考とは異なる野生の思考〉

であることを明らかにした(『野生の思考』1962)。20世紀思想の主潮流〈実存主義〉や〈マ

ルクス主義〉をのりこえようとする試み。

 ミシェール・フーコー 1926〜1984(『知の考古学』『言葉と物』他)

   「人間」というもの、つまり厚みのある第一義的実在としての人間、可能な認識の主体であると

同時に客体でもある人間というものは、たかだかこの二世紀の産物であるに過ぎない。近代以前に

も確かに人間は存在していたし、人間について語られてもいたが、そこでの知の空間は、人間とい

う固有で特異な領域をいかなる仕方においても孤立させず、そのものとしては浮かび上がらせない

ような多くの線に従って分節されていた。人間はこれまでの知の歴史の総体から言うなら、ほんの

最近の産物であるに過ぎず、知が新しい分節形態を見出しさえすれば、いずれは消え去る運命であ

る。

人間をその「王の場所」から追放するものは言語である。言語の重たい存在のもとでは、人間 

   はその下に覆い隠されて、諸々の事物的存在と同等の一存在となるし、人間主体の至上の存在の

もとでは、言語はその単なる中性的で透明な媒介ないしは道具に成り下がる。

言語(ランガージュ)を根拠にして、人間の人間中心主義の―さらに近代合理主義の―根底的

な批判。

吉本隆明 1924(大正13)〜

「原生的疎外」:非生物がある段階で生命になる。そうすると、生きていくために、ある動機を

持つ。その生物の動機が、あるがままの存在(物質的環境)とずれている、そのずれのこと。生

物である限り、外界と異和的関係にある。原生的疎外が意識(純粋疎外)を生み出す原点。

外界に対する異和や差異を、もっとも明確に組織して、明確に外界に対して敵対する自分、対

立する自分、そういう動機自身を意識して自分を組織する。こういう意識をそなえた生物になる

ことが人間の原点である。(『心的現象論』)

「大衆の原像」:社会と確執する(逆立ちする)個人に思想の出発点をおいた。

近代以降の社会では、必ず社会のもたらす要請(社会的存在たれ)と、人間の実存の契機が確

   執する(=逆立ちする)。だから、いつでもただこの確執(矛盾や虚偽)の意識だけが、もし十

   分表現され形を与えられるなら、現実社会を変えていくいちばん底のバネになる。

 「大衆の原像」の考えは、マルクス主義に代表される戦後思想の大きな枠組みに対する強力な

アンチテーゼとして出された。例えば、マルクス主義の経済(決定)主義を「幻想」というキー

ワードで相対化した(但しマルクス自身の根本思想に寄り添いながら)。

 

知的に世界を把握するのではなく、「無意識」の通路に目を向ける。(『マスイメージ論』)

椎名誠、橋本治、糸井重里等のエンターテインメント・ポップ文学を評価して言う。「表現の

優れた点が、言葉の表層(意識的な面)からではなく、無意識の深層からやってくる・・・この

質的な新しさ、差異は、かれらが変化することのなかに、無意識の必然が体験されていていると

いうことに尽きる。

つまり、世界秩序や制度が、無知な大衆を啓蒙してやれとか、大衆向けにやさしく通俗化して

やれというモチーフから生み出したマス・イメージの世界ではなくて、ある未知のシステムを感

受しているために産出される無意識の、必然的なやさしさも、言葉の産出も、モチーフも、すべ

て(無意識の深層から―筆者注)やってきた世界のように思える。」

 

知に入ると、信条が党派的になる。集団を考えなくても自分対世界とか、自分一人対その他大 

   勢とかいう観点の党派になる。・・・これを防ぐ防ぎ方はまずないので、知というのは、知でな

いものを繰り込めない限りは、信条が党派的になることは避けがたい。

(『論註と喩』『信の構造』『親鸞』『最後の親鸞』『非知へ』『未来の親鸞』『アフリカ的段階について』)